「人の言動による、人の幸せについて

私は、学校に通っていたが、自分が将来したいことではないと思い始め、退学をした。周囲のたくさんの人からから色々な意見を聞いた。その中の意見として、‘私自身の価値観が大きく変わり、このまま続けていても留年するから、辞めたい‘という私の言葉に対して、色々な案を出してくれた。しかしながら、笑っていたということもあるだろうが‘もうやめたい’と言っていたのにも関わらず「どうしたら続けてくれる」等笑いながら話したその人に対して意見を押し付けられているような感覚を覚えた。そのあとにその人が聞いてほしい要望があって数回提案していただいたが、断った。すると、「普通じゃないよ」と言われた。おそらくその人は「今までにいないよ」という意味合いで言ったことだと思うが、‘辞めたい’と悩んでいる時には、少なからず自分の考えが間違っているんじゃないかと不安になると考えられる。そんな時に、「普通じゃないよ」と言われたら私自身の勝手な考えだが、少しはみ出しているよとでも言うように人格を否定されるような気がした。 私が本当に嫌だという意思表示をしていなかったかどうか自分自身では分からないが、押し付けられたような感覚と人格を否定されたような感覚はずっと心の中にうずまいたままになってしまっていた。

 

 しかしながら、その人たちはおそらく私に考え方を示して、良い方向に導きだそうとしてくれていたんだと思う。その人たちの私にしてくれたことは本当に有難いし、行為にものすごく感謝している。そんな優しい人たちを悪く思う自分に腹を立てもした。

 それでは、なぜ上に書いてるように押しつけがましかったり、人格を否定されたような感覚を憶えるのだろうか。それは私自身が生きた人生の中で体験したことと関連しているからだろう。私は幼いころから、多くの周囲の人から「変わっているね」と言われてきた。それでよくからかわれたりもした。きっとその発言をした人やからかった人は悪気があってやったことではなく、純粋に面白かったからだろう。しかしながら、私の心は自分を否定してしまっていた。そして、そうやって自分の言動に対して自信がなくなっていったのだろう。

普段何気なく生活している中で、例え対面していなくても対象となる人間の心に深く影響し、その言動がその人の心を支配しかねないと思うのである。

その時その時の言動は本当に相手のためだろうか、相手は悲しい苦しい思いをしていないだろうか等考えて行動に移していけば相手を大切にする、思いやるといった優しい空気が生まれ周りに伝わる。そういったものを生み出せる人は美しいし、

そのような人たちが集まれば美しい世の中になると感じる。

そして、美しい世の中になれば現代社会で問題視されているストレス等は癒され、多くの人が幸せになるのではないかと。